2011年3月11日の地震と津波から1週間、UDトラックス岩手株式会社アフターセールス本部の玉山智子本部長は、被災地釜石にようやく足を踏み入れた。
それは寒々とした光景だった。津波は左右の渓谷の合間を縫って、 内陸深くまで到達していた。釜石出張所は海岸から500mほどの場所にあったが、津波の高さは10mにまで至った。建物は完全に流され、周りにあった住宅もみな消えていた。
「涙があふれて言葉になりませんでした」と玉山本部長は語る。
営業本部の村井正行本部長が現地入りしたのは3月16日。やはり大きな衝撃を受けた。
「完全に何一つなくなっていました」
被災規模は計り知れないものだったが、確かなことが1つだけあった。それは、地域全体に存在していた釜石営業所のお客さまが、みな津波による大きな打撃を受けていたということだ。オフィスや設備装置、車両は損壊し、サプライチェーンは深刻な混乱に陥っていた。
数週間経ってようやく、最初の一握りのお客さまが事業を再開できたが、ほとんどは水、食料品、燃料、動物用飼料といった生活必需品の緊急物資輸送だった。他の事業が再開するにはさらに何カ月も要し、いまだに再開できていない事業も多い。
震災直後の混乱はお客さまの状況把握に支障を来し、UDトラックスの従業員は自ら行動を起こす必要を感じた。
できるだけ多くのお客さまが一刻も早く事業を再開できるよう力にならなければならなかった。UDトラックス従業員にとって、それはミッションとなり、復興努力を支援する道となった。
この目的に突き動かされ、チームは懸命に働き、2年以上の間、想像しうる最も困難な状況の中、あらゆる方法でお客さまを支援した。
「何をすべきかはわかっていました。私たちは輸送業界のプロであり、お客さまが車両を使う助けになりたいという思いがありました」と、藤澤千孝代表取締役社長は語る。