1939年11月に第1号車である「LD1型貨物自動車」が完成すると、直ちに野外走行試験が計画された。当時の日本の道路事情はほとんどが未舗装で、荷馬車がやっと通れるような幅の狭い道路や橋も多くあった。その中でも、特に難所と呼ばれる急坂や急カーブが連続する峠道ばかりを選んでコースが設定された。全行程は、日本列島の長さの1.5倍に相当する3,000kmになる。もちろん、日本では前例のない耐久テストであった。 「いきなり、そんな厳しい試験をしないで、最初は市街地で試験をすればいいのではないか」という意見もあった。しかし、安達の考えは違った。
「我々の目指すのはあらゆる悪路を走ることができる堅牢なトラックである。この程度の野外走行試験をクリアできなければ、お客様に自信をもって製品を提供できない。せっかく苦心して製作した1号車だが、壊れても構わないからより厳しいルートを走ろう」 安達堅造から開発メンバーへの言葉 – 1939年