kawaguchi factory
1935年 - 安達堅造により創立
すべては、創業者 安達堅造の 「時世の要求する自動車」を作りたい、というビジョンから始まった。

ディーゼル車は、1920年代に欧州で発達した。創業者の安達堅造(1880-1942)は、1927年に欧州の産業界を視察した際、このディーゼル車に注目した。安達は「ディーゼルエンジンは、馬力、燃料消費量など多くの点でガソリンエンジンに優れている」と記録に残している。

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創業者 安達堅造

安達は「自らの力でディーゼルトラックをつくりたい」と考え、ドイツのクルップ社と特許権の許諾交渉を始めた。同時に会社づくりに取り組み、1935年12月、日本デイゼル工業(現 UDトラックス)を設立した。 翌年、川口工場の建設を進めた。

一方、技術の修得のために技術者を欧州に派遣し、ドイツから2人の技師を招いた。最新の加工機械も輸入して、1937年からいよいよディーゼルエンジンの製造に取り組んだ。 2年にわたって製造技術とともに品質に対する基本的な考え方を学んだことで、高品質で耐久性の高い部品を製造できるようになった。

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当社初のディーゼルトラックとして「LD1型貨物自動車」を完成させる(写真はLD3型)
 

1938年11月、ついにディーゼルエンジン第1号機「ND1型エンジン/2気筒60馬力」が完成した。完成したエンジンは、100時間の耐久試験を行うこととなった。結果はすべて良好な成績でクリアし、欧州製エンジンと同一水準の性能と品質があることを立証することができた。

ND1型エンジンとともに1937年ごろからディーゼルトラック1号車の製造に向けて自動車シャーシ部品の製造も進めてきた。ND1型エンジンの完成から1年後の1939年11月。ND1型エンジンを搭載した2.5トン積み「LD1型貨物自動車」1号車が完成した。創立から4年、ついに「自らの力でディーゼルトラックをつくりたい」という安達の夢がかなった。